フィルハーモニア管弦楽団
マーティン・ブラビンス(指揮)
小川典子(ピアノ)
会場: クイーン・エリザベス・ホール (ロンドン)
公演日: 2009年2月3日(火)
タイムズ紙 2009年2月5日(木)
藤倉に2月3日の演奏会メインであるストラヴィンスキー「ペトルーシュカ」への恩義があるとしても、彼は決して認めはしないだろう。ドーランにまみれた愛と死の人形劇に対し、藤倉は「アンペール」について、「音の情報供給」や「作曲システム」について語っている。恐るべし、パリIRCAMの教え。
いや、恐れるなかれ。この「アンペール」もまた、腕白人形劇さながらだ。人形を操るのは、大胆不敵に挑むピアノの小川典子。25分に渡って繰り広げられる激しい音のぶつかりあいは、オーケストラの卓越した演奏に追い立てられ、不思議な魔力に満ちる。大雪の影響で練習時間が限られたなか、無慈悲なほど難しい楽譜に取り組み、本番に臨んだフィルハーモニアには頭が下がる。叩いたり、こすったりの奏法も、一見、即興に見えるが、これも緻密なアンサンブルあってこそ。マーティン・ブラビンスの明快なる指揮の下、演奏は自信に満ちていた。
「アンペール」は、扱いにくいほど鋭い輪郭を持った曲であり、心に響く、と言うよりは、むしろ神経を興奮させる要素を持っている。それはまさしく、藤倉が意図するところなのであろう。小川典子の休むことのない演奏は、恐いもの知らずで、落ち着きのない子供の様子さえ思い起こさせる。オーケストラはこの日、小川にとっておもちゃ箱なのであり、おもちゃに手を差し延べたかと思うと、床に叩きつけたりしてしまう。
そんな暗喩を象徴するかのように、曲の終結部分で、小川は亡霊のようにおもちゃのピアノに座り、ぽろりぽろりとつまびく。それは柔らかなグラスハーモニカの音色と共に、天空にたゆたうようであった。
ニール・フィッシャー
原文 (新聞社ウェブサイト)
ガーディアン紙 2009年2月6日(金)
1977年生まれの藤倉大にとって、この曲は、初の英国メジャーオーケストラからの委嘱作品である。ピアノ協奏曲のジャンルでは、ソリストとオーケストラのアンサンブル、衝突と解決の繰り返しを伝統としている。反して藤倉は、オーケストラとピアノを「巨大なる一台のピアノ」と称した。異色である。このコンセプトは、この曲に関しては、必ずしも大成功とは言えなかったけれど。
「アンペール」のソリストは小川典子。曲の題名(アンペア)は、電気を充電するそれであり、ピアノからオーケストラに電気が伝わる、と言う意味らしい。ピアノの冒頭部分は驚くほどシンプルに始まる。それに対しオーケストラが反応する。飽和する和声、弦楽器の切り裂くような音、金管楽器は断続的に火を吹く。
小川の存在を最も雄弁にしたのは、2度に渡るカデンツァであった。最初のカデンツァは曲の中間部にあり、時折聴こえてくる静かな打楽器との会話がピアノを支える。二度目のカデンツァは、おもちゃのピアノである。輝くようなワイングラス(グラスハーモニカ)の音色と相まって、うっとりするほど静かな終結部であった。
ジョージ・ホール
原文 (新聞社ウェブサイト)
オブザーバー紙 2009年2月8日(日)
2月3日フィルハーモニアによる藤倉大ピアノ協奏曲世界初演の日は、大雪により、リハーサルは最小限、交通機関のダイヤ乱れによる空席もあったが、マーティン・ブラビンスの機敏なタクトさばきにより、演奏は実に完成度が高く、素晴らしい結果を出した。
ソリスト小川典子の演奏は、クリスタルのように透明で精巧。打楽器風の力強い和音から、漂うようなメリスマ(歌)を弾き分け、ピアノを大きく包み込むオーケストラの中で、しっかりと小宇宙を築いていた。
曲の終結部で、良く映えるドレスに身を包んだ小川は、スタインウェイのコンサートグランドを捨て、輝くように赤いおもちゃのピアノに座る。ここで奏されたシュールな音色を聴いたら、おもちゃのピアノ先駆者ジョン・ケージは、さぞかし喜んだことだろう。
フィオナ・マドックス
原文 (新聞社ウェブサイト)
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